2014年11月4日火曜日

文化の日

みなさん、こんにちは!
三連休の最終日はいかがお過ごしでしょうか?
本日もいいお天気ですので、遊びに行ったりしている方も多いのではないでしょうか?
ちなみに私は祝日に関係無く仕事でございます(笑)。

さて、ワクチンのことを書こうと思って内容を考えていたら時間が経ってしまい、本日になってしまいました(笑)。
本日は祝日、「文化の日」ということで、文化の日について書こうと思います。

日本の祝日は年間で15日あり、祝日にはそれぞれ主旨があります。
文化の日の主旨は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とあります(国民の祝日に関する法律第二条)。
「自由と平和を愛す」と「文化をすすめる」のがどう繋がっているのか謎ですが(笑)、官僚が作った文章というのはだいたいこういった血の通っていない、機械的なものが多いです。
だから悪いとかそういうことを言いたいわけではありませんが、私たち国民にしてみれば感情移入しづらい文章であるのは間違いないと思います。

さて、みなさんはこの文化の日が、もともとは違う名前であったのはご存知でしょうか?

明治6年(1873年)から明治44年(1911年)まで、11月3日は「天長節」という名前の祝日でした。
「天長節」と聞いて分かった方はかなりの物知りかお年を召した方かどちらかだと思いますが(笑)、そうです、昨日は明治天皇のお誕生日でありました。
「天長節」というのは昔の天皇誕生日の名前であります。「天長地久」という老子の言葉が由来で、天皇陛下が天地とともに長く久しくお健やかでいらっしゃいますように、また物事が永遠に続きますようにとの願いを込められ付けられました。
ちなみに皇后陛下のお誕生日も「地久節」といい、戦前は皇后陛下のお誕生日をお祝いする祝日でしたが、現在は平日となっております。

天皇のお誕生日である以上、不敬ではありますが天皇が崩御(お亡くなりになること)されると日にちが変わります。明治天皇が崩御され時代が明治から昭和に移り変わると、天長節は4月29日に変わります。これはもうお分かりですね。そうです、「昭和の日」です(旧・みどりの日)。
昭和の日に関してはまた別の機会に書くとして、そうして11月3日は祝日から平日になってしまいました。

しかし、ここで国民が立ち上がりました。
「明治天皇のご偉業を永遠に伝えていくためにも、11月3日を祝日にしたい」と求める運動が展開されたのです
崩御直後の新聞には11月3日をどのように保存して行くべきか、アンケートを実施しているほどで(『国民新聞』大正元年8月13日~27日「11月3日を如何に保存すべき乎」)、この中で圧倒的に多かったのが「明治節」の名称でありました。
大正14年に行われた請願運動では2万名の署名が集まり議会に提出、満場一致で可決され、そうして多くの国民の願いによって11月3日は昭和2年(1927年)、「明治節」という名前で晴れて祝日となったのです。
以来、明治節は国家の大切な行事とされていました。

それは明治維新という日本の2,000年以上続く長い歴史の中でも、最も大きな時代の転換期と言っても過言ではない江戸から明治へと時代が大きく動く中、まさに先頭に立って日本を引っ張り、当時は後進国であった日本を世界の大国と肩を並べるくらいの一等国にまで押し上げたのは、やはり明治天皇の力が大きかったのは言うまでもありません。
明治天皇がどれほど国民から慕われ、尊敬され、愛されていたか。また当時の国民にとって明治天皇がどれほど大事な存在であったのか。こういった署名運動が全国で沸き起こったことをみてもよく分かるのではないかと思います。
それだけ明治天皇に対する国民の想いは深く、後世にその記憶を語り継ぎたい、残したいという想いが強かったのではないでしょうか。

そんな国民の明治天皇を想う気持ちで作った「明治節」が、現在の「文化の日」になります。
「文化の日」と聞いて、明治天皇のお誕生日と連想できる方は、一体どのくらいいるでしょうか。
はっきり言って、ほとんどいないと思います。私も勉強して初めて知りました。

戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の強い意向により作られた日本国憲法にちなんで昭和23年(1948年)7月、「国民の祝日に関する法律」により、もともとの意味とは程遠い名前に変えさせられてしまいました。

祝日や記念日は非常に大事なものであります。
先人たちが当時、どういった想いでいたのか。どういった想いを後世に残そうとしたのか。私たちはそれを知る必要があると思います。いや、それを知るだけではなくその想いを引継ぎ、後世に伝え残していくべきだと思います。
それが今を生きる私たちの責務ではないでしょうか。



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