2015年2月14日土曜日

建国記念の日

みなさん、こんにちは!
とても寒かったり比較的暖かかったり、毎日めまぐるしく気温が変わりますね。
今日も予報によれば12~13℃くらいと暖かくなるとのことでしたが、お昼過ぎたあたりから風が強くなり…また寒くなってきちゃいました。
お出掛けの際はしっかりとした防寒をオススメいたします。

さて、2月11日は祝日でした。何の日かというと…
「建国記念の日」
年間15日ある日本の祝日の中でも、最も大事であると言っても過言ではない日になります。

ちなみに「建国記念日」ではありません。「建国記念“の”日」と「の」が入ります。
もし間違っている人がいたら、知ったかぶりして教えちゃいましょう(笑)

では、なぜそこまで大事な日なのか?
それは日本の原点だからです。

毎度のことながら大事なので書きますが、祝日とは国民の祝日に関する法律第1条で、
「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞって祝い、感謝し、または記念する日である」
と定義されています。
「国民こぞって祝い」というのがポイントで、本来はただの休日などではなく、国民みんなでお祝いをする日になります。
昔は小学校も登校し、校長先生から祝日について話を聞き、紅白まんじゅうをもらって家に帰っていました。

祝日にはそれぞれ趣旨があります。
国民の祝日に関する法律第2条に、建国記念の日の趣旨についてこう書かれてあります。
「建国をしのび、国を愛する心を養う」
建国、つまり国ができた日。日本が誕生した日になります。昔は「紀元節」と呼んでいました。
明治5年(1872年)に、初代・神武天皇が即位した日であるこの日を紀元節として制定されました。
西暦でいうと紀元前660年になります。

ちなみにこの神武天皇が即位した日を元日として数えたのが「皇紀」です。
今はあまり一般的には使われていませんが、戦前では皇紀が元号(平成、昭和など)と共に使われていました。
今年は皇紀2675年です。つまり、日本はできてから2675年もの歴史がある国ということになります。
我が国は世界で最も長い歴史を持った国であるのです(ちなみにギネス記録にも認定されています)。

世界中、どの国においても建国の日というのはとても大事な日となります。
その国の原点であるわけなので当然といえば当然となります。
個人に置き換えてみれば分かりやすいと思いますが、誰しも誕生日や結婚記念日などは大事にすると思います。生まれた日や新たな生活の始まりをお祝いする方も多いのではないでしょうか。
結婚記念日に関しては、旦那さんが忘れていて夫婦ゲンカに…なんてこともあるかもしれませんが(笑)ちなみに私はまだ結婚しておりませんので、忘れたことはありません。

なぜ建国の日を大事にするのか?
それは国民の、自分の国に対しての自信や誇り、愛国心を育むからです。

実は、建国記念の日は一度なくなっていました。
戦後アメリカGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策により、「紀元節を認めることにより天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再びアメリカの脅威となるのではないか」という理由で紀元節は廃止されたのです。
昭和23年(1948年)のことでした。
ちなみにこれは明確な国際法違反になります。「民主主義を教えてやる」と言って日本にやってきた割には、民主的とはほど遠い乱暴なやり方ですよね。

テレビ局が行ったアンケート調査では、全国民の80%以上の人が「建国を記念する日」を望んでいるということが分かったのです。
ちなみに1番多かったのが「元日」で99.9%。(残りの0.1%は誰なんでしょうかね?よっぽど働くのが好きで「休みなんかいらない!」という人だったのでしょうか)
2番目は「天皇誕生日」。これも文句なしの結果ですよね。
しかし祝日法が昭和23年(1948年)7月20日に施行された時、建国記念の日だけは外されていました…。

紀元節復活に向けた動きは昭和26年(1951年)頃から始まります。
衆議院議員らによる「建国記念日」設置を定める法案の提出はなんと9回。その全てが廃案となりながらもあきらめずに成立を目指し、ついに昭和41年(1966年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立したのです。

現在、多くの国民が2月11日という日を大事な祝日と考えることなく、ただの休日として過ごしていることと思います。
しかし、建国記念の日があるのは当たり前ではないのです。
戦後日本を占領し、日本人の精神を骨抜きにするためにその根本となる建国記念の日、紀元節を取り戻してくれた方々がいた…日本を護るために闘ってくれた方々がいた…このことを決して忘れてはいけないのです。

「歴史を忘れた民族は滅びる」これは民俗学者であるアーノルド・トゥインビーの言葉です。
日本の建国の精神を忘れないためにも、日本の原点である2月11日「建国記念の日」を大事にし、日本のことを考えるきっかけにしましょう。

2015年2月4日水曜日

節分と恵方巻

みなさん、こんにちは!

 今日は立春ですね。
立春は二十四節気の一つで、冬至と春分の間の2月4日頃に当たります。また、この日から雨水(2月19日頃)までの期間を立春と呼ぶこともあります。
冬と春の分かれる節目の日である「節分」の翌日で、「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日になるそうです。
・・・まだまだ寒いですが、暦の上ではもう春なんですね。

 昔は自然の景色の変化から季節の移り変りを把握する「自然暦」を使用していました。
飛鳥時代に中国から二十四節気が伝えられると、冬至が年の分割の起点と考えるようになり、立春を一年の初めとして暦が作成されるようになりました。
明治6年1月1日に太陽暦に変わるまでは立春は正月とほぼ同じ頃に重なっていたため、現代でも正月に「早春」や「新春」といいます。

 さて、昨日は節分でした。みなさんは豆まきや恵方巻を食べたりしましたか?

 私は恵方巻は食べ損ねました。健康のためにと初めて家まで歩いて帰ってみたのは良いものの、最後の方で道に迷ってしまい、帰るのに必死で恵方巻のことはすっかり頭から抜け落ちていました。スマホの地図アプリは見てたんですけどね・・・。
ここまで読んでみてお分かりだと思いますが、何を隠そう、私は正真正銘の方向音痴なのです。
ですので、買って帰ったところで正しい方向を向いて食べれた保証はないのですが・・・。

 豆も食べはしましたが、撒いたりはせず静かなものでした。
実家にまだいる頃は毎年やってましたが・・・一人となった今ではさすがに。子供の頃は鬼役となった父親に向かって思い切り豆を投げて憂さ晴らしをしてましたっけ(笑)
(注:別に仲が悪かったわけではありません)
当院の近くにある神社では、小学校と一緒に豆まきの行事をやっていたみたいです。
太鼓をどんどん鳴らしながら道路に豆をまいていったらしく、お昼に外に出た時にはいっぱい豆が落ちてました。
小学校のうちからこういった日本の歴史や伝統文化に触れることはとても大切だと思います。
感性が豊かになりますし、なにより日本が好きな、日本のことを誇りに思う大人に成長します。

 節分の豆まきは元々、宮中の年中行事として行われていました。季節の変わり目には邪気(鬼)が発生すると考えられていたからです。
この邪気(鬼)を打ち払うためのお祓いとして行われていたのが豆まきになります。
豆がまかれるようになったのは室町時代で、鞍馬山の鬼が京に出没して都の人々が困っていた時に、毘沙門天が「豆で追い払うよろし」とのたまったのが始まりだそうです。
大豆は五穀の一つで穀霊が宿るとされており、米に次いで神事に使われておりました。

 「鬼」という日本語の語源は「陰(おん)」。隠れている怖いものを「隠人(おんにん)」といい、この言葉が変化したものと言われています。
自然災害や病、飢饉など、形の見えない、人間の想像力を超えた恐ろしい出来事は鬼の仕業と考えられていたのです。
隠人(鬼)の魔目(鬼の目)を射る(炒る)ことで、魔滅となるのです。

 いかがでしょうか?なかなか深い意味が込められていますよね?

 ちなみに恵方巻は、江戸時代や明治時代の初期に花街の縁起担ぎの遊びとして行われていました。
旦那さんの一物(男性器)に見立てた太巻きを丸かじりすることで、その一年の安泰を祈願したものだったらしいです。
なぜ丸かじりすると安泰になるのかは意味不明ですが・・・「下ネタじゃねえか!」なんて突っ込みはしないでくださいね。なぜなら当時の価値観は、今のような欧米から植えつけられた性の意識とは全然違いました。当時はもっと開けっ広げでおおらかでしたし、江戸時代のお風呂は混浴が主流でした。
うらやまし・・・じゃなかった、今では考えられないかもしれませんが、その時代その時代によって価値観や考え方が違うのは当然です。

 江戸時代末期に大坂で広まったこの風習は一時廃れてしまいましたが、1970年代後半に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った販売促進のためのイベントにより復活、関西地方では一般的な風習となったそうです。
「土用の丑の日には鰻を食べよう!」というキャンペーンに対抗するためだったらしいですが、バレンタインチョコにしてもクリスマスケーキにしても、企業が商業目的で乗っかったという構図は変わらないですね。
いずれにしても、このような経緯でコンビニやスーパーなどで大々的に売り出すようになり、恵方巻がどんどんメジャーになっていったようです。

 最後に、一度言ってみたかったセリフを・・・
今度、俺の太巻きを・・・言わせねえよ!!(注:セクハラ等の苦情は受け付けておりません)