2015年2月4日水曜日

節分と恵方巻

みなさん、こんにちは!

 今日は立春ですね。
立春は二十四節気の一つで、冬至と春分の間の2月4日頃に当たります。また、この日から雨水(2月19日頃)までの期間を立春と呼ぶこともあります。
冬と春の分かれる節目の日である「節分」の翌日で、「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日になるそうです。
・・・まだまだ寒いですが、暦の上ではもう春なんですね。

 昔は自然の景色の変化から季節の移り変りを把握する「自然暦」を使用していました。
飛鳥時代に中国から二十四節気が伝えられると、冬至が年の分割の起点と考えるようになり、立春を一年の初めとして暦が作成されるようになりました。
明治6年1月1日に太陽暦に変わるまでは立春は正月とほぼ同じ頃に重なっていたため、現代でも正月に「早春」や「新春」といいます。

 さて、昨日は節分でした。みなさんは豆まきや恵方巻を食べたりしましたか?

 私は恵方巻は食べ損ねました。健康のためにと初めて家まで歩いて帰ってみたのは良いものの、最後の方で道に迷ってしまい、帰るのに必死で恵方巻のことはすっかり頭から抜け落ちていました。スマホの地図アプリは見てたんですけどね・・・。
ここまで読んでみてお分かりだと思いますが、何を隠そう、私は正真正銘の方向音痴なのです。
ですので、買って帰ったところで正しい方向を向いて食べれた保証はないのですが・・・。

 豆も食べはしましたが、撒いたりはせず静かなものでした。
実家にまだいる頃は毎年やってましたが・・・一人となった今ではさすがに。子供の頃は鬼役となった父親に向かって思い切り豆を投げて憂さ晴らしをしてましたっけ(笑)
(注:別に仲が悪かったわけではありません)
当院の近くにある神社では、小学校と一緒に豆まきの行事をやっていたみたいです。
太鼓をどんどん鳴らしながら道路に豆をまいていったらしく、お昼に外に出た時にはいっぱい豆が落ちてました。
小学校のうちからこういった日本の歴史や伝統文化に触れることはとても大切だと思います。
感性が豊かになりますし、なにより日本が好きな、日本のことを誇りに思う大人に成長します。

 節分の豆まきは元々、宮中の年中行事として行われていました。季節の変わり目には邪気(鬼)が発生すると考えられていたからです。
この邪気(鬼)を打ち払うためのお祓いとして行われていたのが豆まきになります。
豆がまかれるようになったのは室町時代で、鞍馬山の鬼が京に出没して都の人々が困っていた時に、毘沙門天が「豆で追い払うよろし」とのたまったのが始まりだそうです。
大豆は五穀の一つで穀霊が宿るとされており、米に次いで神事に使われておりました。

 「鬼」という日本語の語源は「陰(おん)」。隠れている怖いものを「隠人(おんにん)」といい、この言葉が変化したものと言われています。
自然災害や病、飢饉など、形の見えない、人間の想像力を超えた恐ろしい出来事は鬼の仕業と考えられていたのです。
隠人(鬼)の魔目(鬼の目)を射る(炒る)ことで、魔滅となるのです。

 いかがでしょうか?なかなか深い意味が込められていますよね?

 ちなみに恵方巻は、江戸時代や明治時代の初期に花街の縁起担ぎの遊びとして行われていました。
旦那さんの一物(男性器)に見立てた太巻きを丸かじりすることで、その一年の安泰を祈願したものだったらしいです。
なぜ丸かじりすると安泰になるのかは意味不明ですが・・・「下ネタじゃねえか!」なんて突っ込みはしないでくださいね。なぜなら当時の価値観は、今のような欧米から植えつけられた性の意識とは全然違いました。当時はもっと開けっ広げでおおらかでしたし、江戸時代のお風呂は混浴が主流でした。
うらやまし・・・じゃなかった、今では考えられないかもしれませんが、その時代その時代によって価値観や考え方が違うのは当然です。

 江戸時代末期に大坂で広まったこの風習は一時廃れてしまいましたが、1970年代後半に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った販売促進のためのイベントにより復活、関西地方では一般的な風習となったそうです。
「土用の丑の日には鰻を食べよう!」というキャンペーンに対抗するためだったらしいですが、バレンタインチョコにしてもクリスマスケーキにしても、企業が商業目的で乗っかったという構図は変わらないですね。
いずれにしても、このような経緯でコンビニやスーパーなどで大々的に売り出すようになり、恵方巻がどんどんメジャーになっていったようです。

 最後に、一度言ってみたかったセリフを・・・
今度、俺の太巻きを・・・言わせねえよ!!(注:セクハラ等の苦情は受け付けておりません)

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